北九州市議会 2020-03-16 03月16日-02号
また、本市ならではの観光資源を組み合わせ、ストーリー性を持たせた回遊性を高める取り組みといたしまして、世界遺産の官営八幡製鉄所関連施設や門司港、若松南海岸などにある産業遺産めぐりと最先端の工場が集積する沿岸部の工場夜景クルーズを組み込んだモノづくりの町北九州市を堪能するコース、皿倉山と門司港レトロの2カ所にある恋人の聖地で趣の異なる夜景を楽しむロマンチックな夜景めぐりコースなどのモニターツアーを実施
また、本市ならではの観光資源を組み合わせ、ストーリー性を持たせた回遊性を高める取り組みといたしまして、世界遺産の官営八幡製鉄所関連施設や門司港、若松南海岸などにある産業遺産めぐりと最先端の工場が集積する沿岸部の工場夜景クルーズを組み込んだモノづくりの町北九州市を堪能するコース、皿倉山と門司港レトロの2カ所にある恋人の聖地で趣の異なる夜景を楽しむロマンチックな夜景めぐりコースなどのモニターツアーを実施
本市には、官営八幡製鉄所の創業以来100年を超えるモノづくりの歴史の中で培われてきた技術と人材という大きな財産があります。この財産を生かしてコンパス小倉を中心にこれからの若い人たちのビジネスを力強く支援していただきたいと思います。 そこで、2点お伺いいたします。 1点目に、コンパス小倉がリニューアルしてから3カ月がたちますが、コンパス小倉ではどのような支援を行っているのかお聞かせください。
この歴史は、世界遺産に登録された官営八幡製鉄所を支えた根本の燃料の歴史であります。ぜひ、歴史の宝として掘り下げた取り組みも期待できるのではないかなというふうに思いますので、ぜひ、その辺もお願いしたいなと思います。 続きましては、地方移住の推進については、どのようにお考えなのかをお尋ねいたします。 ○総合政策部長(毛利良幸) 現在、総合戦略の策定に向けて人口ビジョンといったものも行っております。
八幡東区にある河内貯水池は、日本近代製鉄の発祥である官営八幡製鉄所の工業用水を確保するために、当時の最先端技術を駆使して大正8年に着工し、昭和2年に完成したもので、今も水漏れはなく、現役のダムとして使われています。ダム周辺は自転車道や遊歩道になっており、春の桜、夏の緑、秋の紅葉と、季節ごとに風情のある美しさを見ながら河畔をゆっくり散策することができます。
その地価が下がるという地価の安いところにというところで、企業の進出があると考えるならば、八幡製鉄所、官営八幡製鉄所が明治の初年に、大堂議員が一番詳しいんではないかと思いますが、八幡村に干潟があって、船が木造の船がという状態の中に、国策として製鉄所が誘致され、そして現在どうなのかというと、鉄は若干のと言っては失礼になるかわかりませんが、八幡においては少し下火かなと、景気が新日鉄に限っていえばいいんでしょうが
本市においてこれまでの1世紀を振り返ったとき、1901年の官営八幡製鉄所の創業を機に、市の西部地域に日が当たってきたわけですが、小倉南区東部地域の住民にとっては、100年待ったかいがあってようやく自分たちに日の当たる順番がやってきたというのが本音ではないでしょうか。
本市は、1901年に官営八幡製鉄所が創業したのを契機に、近代化や経済成長を支える生産拠点として発展する一方、七色の煙、死の海と呼ばれる大気汚染や水質汚濁など公害が深刻化し、その公害を婦人会に代表される市民運動や企業、行政それぞれの協力があって克服し、今では国連表彰を受けるほどの環境先進都市として評価を集めています。
20世紀、本市が鉄の町として栄えた礎が1901年の官営八幡製鉄所の創業であったように、21世紀の本市の繁栄を支える最大の事業が新しい北九州空港開港になると考えているのは私だけではないと思います。そのような市民にとっての一大事業であった空港開港を記念して、本市はことしの2月、新北九州空港マラソンを行いました。
多くの市民は、官営八幡製鉄所の建設がその後の我が国と本市の発展の礎となったことについて誇りにしていることも十分承知してございます。八幡製鉄所が工業基盤を支え、本市発展の中核をなし、現在も基幹産業であることは、議員同様我々としても誇りに思っているところでございます。
その際大切なのは、官営八幡製鉄所の操業開始以来100年もの長い年月の間、その間に培われたモノづくりの地域資源を生かし、北九州学術研究都市を初めとした知的基盤とそれをいかに融合させるかが、また、誘致施策と連携した総合的な展開をいかに図っていくかが大切だというふうに思います。 そこで、お尋ねをいたします。
まず初めに、現在、官営八幡製鉄所発祥の地であります八幡東区の東田地区に建設される、仮称産業技術保存継承センターについてお尋ねいたします。 仮称産業技術保存継承センターは、平成18年度の完成を目標に整備が進められていますが、これをもって、自然史、歴史、環境、産業技術をテーマとしたミュージアム群を整備する平成8年度に策定された本市のSHINE博物館構想がようやく完結の時を迎えようとしております。
から、 問題点、 要望など各学校の運営状況についてヒアリングを実施いたしておりまして、 昨年度は、 その意見に基づきまして、 献立表の家庭配付などの対策を講じたところでございます。 今後も、 このようなヒアリングなどを通じまして実態の把握に努めまして、 事業の充実に取り組んでまいりたいと考えております。 次に、 大谷球場の活用についてお答えを申し上げます。 大谷球場は、 昭和3年に、 当時の官営八幡製鉄所
北九州市は、1901年の官営八幡製鉄所の操業開始以来、鉄鋼、化学、窯業など我が国を代表する製造業の術として目覚ましい発展を遂げてまいりました。 とりわけ、昭和30年代から40年代にかけて、本市は、日本の4大工業地帯の1つとして、高度経済成長の一翼を担ってまいりました。この間、モノづくりに真剣に取り組んできた先人たちの情熱と努力の積み重ねによって、今日の産業技術の発展があったものと考えます。
次に、私は、1901年に官営八幡製鉄所ができて以来のモノづくりの歴史や技術的な蓄積、また、響灘の埋立地に稼働、建設中のエコタウンの存在、将来的なビジネスチャンスの可能 性などを考えたときに、北九州と言えば環境先進都市、又は環境産業の都といったイメージを持っておりますが、この点について、市長の見解を伺います。 第2に、ごみの減量化と再資源化について質問いたします。
また、21世紀のスタートであれば、2001年ということになりますが、これは近代製鉄発祥の地として日本の近代化を支えてきた北九州市が、産業都市として歴史的な一歩をしるした官営八幡製鉄所の操業開始、つまり、1901年から100年を経過したことになり、本市にとっても、大変意義深い年であります。
また、明治時代における産業の革命により、筑豊炭田の開発、官営八幡製鉄所の操業開始などの経済的な追い風の中、外貿の門司、内貿の小倉、鉄、石炭の洞海と、それぞれの特性を生かしながら、発展を続けてまいりました。その後も、これらの港は北九州都市圏の産業、経済を文える基盤として大きな貢献を果たすとともに、現在では国際物流拠点として、九州のみならず、西日本圏内のエリアをカバーするまでに成長いたしました。